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『プレシャスデイズ』ワールド紀行
第2回:古の残響~遺跡とハルト・ポイント~
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■語り手:テオ(魔術師見習い/グレード1)
王都グランツの白亜の城門が、地平線の彼方に消えてから数日が過ぎた。
僕の目の前には、どこまでも真っ直ぐに伸びる「王道」が続いている。それは10年前の戦争終結の後、国王エルミンドール陛下の号令によって整備された、驚くほど平坦で機能的な街道だ。
この街道は商人が行き交い、王国の復興に役立ったのはもちろん、いざというときには軍隊が移動するのに使うそうだ。
僕の旅の装いは、王都の魔術師見習いとして標準的なものだ。丈夫な麻のチュニックに、膝を絞った動きやすいズボン。その上から、魔力を帯びた深い緑色の外套(ローブ)を羽織っている。このローブは、少しの雨なら弾いてくれるし、夜の冷え込みからも僕を守ってくれる。
足元は、長距離の歩行に耐えるよう厚い牛革で仕立てられた、少し重い旅靴だ。
背中には、調理道具や予備の衣類、そして大切な魔導書が詰まった背嚢を背負っている。ずっしりとした重みが肩に食い込むけれど、これこそが「旅をしている」という確かな実感でもあった。
そして腰のベルトには、魔術師の杖の代わりとして、僕が魔力を込めて戦うための相棒――エンチャント用の剣を吊るしている。まだ自分自身の魔力だけで強力な術を発動できない僕にとって、剣に魔力を乗せる戦い方は、最も身近で、かつ過酷な修行の象徴だった。
「どうした、テオ。足が重くなっているのかい?」
隣を歩く師匠が、僕を振り返る。
師匠は使い込まれた茶色の外套を翻し、手にした長杖をリズミカルに突きながら、羽が生えているかのような軽やかな足取りで歩いていた。
「いえ、大丈夫です。……ただ、この道がどこまでも真っ直ぐなので、なんだか不思議な気分で」
そう。僕の故郷の道は、丘を避け川を迂回する、もっと曲がりくねっているし、昇ったり下ったりするものだった。けれどこの街道は違う。障害物があれば魔術で削り、谷があれば石を積み上げて、軍隊が最短距離で進軍できるように設計されているんだ。
「テオ、あの広場が見えるかい? あそこで休憩しよう。第12休憩円地(ハルト・ポイント)だ」
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師匠が指差したのは、街道脇に円形に整地された広場だった。
そこには、周囲ののどかな春の風景とは不釣り合いな、「機能」が備わっていた。
よく見ると、広場の縁には彫刻が削げ落ち煤で黒ずんだ巨大な大理石の柱が何本も転がっていた。かつてここが、都市の一部であったことを物語る痕跡だ。
「……ここは、戦争で焼かれた都市の跡なんですね」
僕は背嚢を下ろし、平らな石の上に師匠から受け取った調理用のケトルを置いた。
地面をよく見ると、焼け焦げた木の根や、かつての家々の土台だったと思われる石積みが、ハルト・ポイントの舗装の下に埋もれているのがわかる。
「そうだよ。陛下は、魔王軍に壊滅させられた遺構の上に、古代のマンシオ(宿駅)を再建されたんだ。ここには軍隊を移動させるために、大勢の人が休憩できるように整備されている。過去の悲劇をいしずえに、次は一歩も退かぬという王国の決意そのものだよ」
師匠の言葉に僕はなんだか落ち着かなくなって、お尻を動かした。
「まあ、おかげで我々のような旅する庶民もその恩恵を受けることができる。ほら、水道が通っているんだ」
石垣から突き出た銀色に輝く金属製のパイプからチョロチョロと水が流れ落ち、水瓶を満たしている。あふれた水が水瓶の下にある排水口から流れ出ていた。
師匠は水瓶に赤みがかった光を反射する金属製のケトルを入れて水を汲み上げた。そのあと師匠は僕の前に腰を下ろすと、ケトルを置いてじっと見つめた。
「さて、テオ。昼食の準備だ。今日の課題は覚えているかな?」
僕は緊張しながら頷いた。
今日の僕の課題は、魔力の出力調整だ。ケトルの底に刻まれた火の術式に魔力を流し、水を沸騰させる。
火属性ではない魔術師にも扱える優れものだ。
そういうと、お湯を沸かすなんて簡単そうに思うかもしれないが、僕にとってはまだ、剣を振るって大人と戦うのと同じくらい難しいことだった。
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◆
僕はケトルの取っ手を握り、目を閉じた。
体の中のマナを意識し、それを指先からケトルの刻印へと流し込む。
「(魔力よ、等しく、優しく……)」
集中すると、指先が熱くなる。けれど、次の瞬間。
パチッ! と火花が散り、ケトルの底が真っ赤に熱せられた。嫌な金属の匂いが鼻をつく。
「ああっ、また……!」
慌てて魔力を遮断したが、水は温まるどころか、ケトルの表面が少し黒ずんでしまった。
出力を上げれば焦げ、下げれば術式が維持できずに消えてしまう。僕の魔力は、まだ暴れ馬のように不安定だった。
「……貸してごらん」
師匠が苦笑しながら、ひょいと僕の手からケトルを取り上げた。
師匠が取っ手に軽く指を触れる。呪文も、大仰な構えもない。
ただ一瞬、師匠の瞳の奥に淡い金色の光が宿ったかと思うと、ケトルの中から「シュン……」と心地よい音が響いた。
無駄な熱が一切外に漏れていない。取っ手は冷たいままで、中の水だけが、まるで魔法のランプのように一気に沸騰し、清らかな湯気が立ち上った。
「……すごい」
僕はただ、その手つきに見惚れてしまった。
僕が汗をかいて苦労してもできなかったことが、師匠の手にかかれば呼吸をするのと同じくらい自然な、当たり前の風景になる。
これが、見習いになりたての僕と、数多の戦場を潜り抜けてきた師匠との、圧倒的な練度の差。憧れと、少しの悔しさが、胸の中でスープのように混ざり合う。
「失敗は無駄ではないよ。経験は成長に必要な栄養だ。そして、キミの身体にも栄養を与えないとね」
師匠に促され、僕は慌てて金属製のカップに昼食の具材を放り込んだ。
◆
今日の昼食は、王都の魔術師たちが「氷結魔術」で加工した乾燥野菜のスープだ。
水分を完全に飛ばした人参やセロリなどの野菜のチップ。それに、親指ほどの大きさに切り分けた塩漬け肉のブロック。
そこへ師匠が沸かしてくれた熱々の湯を注ぐ。
乾いた野菜が、春の芽吹きのように鮮やかな色彩を取り戻していく。
肉の脂がじわりと溶け出し、カップの中から立ち上る香ばしい匂いが、歩き疲れた僕の胃袋を刺激した。
昨日買ったばかりの少し硬めのライ麦パンをナイフで切り分け、そこに厚切りのハードチーズを挟む。
「……できました。召し上がってください、師匠」
石柱の陰、春の風が通り抜ける中で、僕たちはスープを啜り始めた。
パンをスープに浸し、柔らかくなったところをチーズと一緒に頬張る。
素朴な麦の香りと、肉の旨み、そして野菜の甘みが口いっぱいに広がり、身体の芯まで温まっていく。
「師匠、さっき言っていた『マンシオ』って、どんな場所だったんですか?」
僕はスープのカップを両手で包みながら尋ねた。
「そうだね……。前の戦争よりもずっと昔、黄金時代と呼ばれたころの制度だ。旅人が馬を替え、温かい食事を摂り、見知らぬ者同士が焚き火を囲んで明日の行き先を語り合った。軍の拠点ではなく、純粋に『道を楽しむ者』たちのための宿場だったのさ」
師匠は遠く西の空、聖都エルドラがある方向を見つめた。
「今はこうして、ハルト・ポイントとして軍事的な役割を持たされているが……テオ。ここにはかつて人々が暮らした平和な街があったんだ。そのことを弔いのためにも忘れないであげてほしい」
師匠の言葉が、温かいスープと一緒に僕の心に染み込んでいく。
このハルト・ポイントに作られた水道も、いつか戦争の備えとしてではなく、ただ街を潤すために使われる日が来るんだろうか?
「さあ、食べたなら出発しよう。このあとの道は少し勾配がきつくなるよ」
「はい、わかりました、師匠!」
僕は食器やナイフを背嚢にしまうと、それを担ぎ直し、腰の剣の感触を確かめた。
いつか僕も、師匠のように鮮やかな手つきで魔法を使い、この道に平和な灯りをともせるようになりたい。
春の風に揺れる遺跡の柱を背に、僕は再び、真っ直ぐな王道へと歩き出した。
魔術師見習いになりたての僕の旅は、一歩一歩、確かに「未来」へと続いている。
〈続く〉
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