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『プレシャスデイズ』ワールド紀行
第4回:交易都市サザンクロス~新しい友達~
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■語り手:テオ(魔術師見習い/グレード1)
交易都市サザンクロスの朝は、爆発するような喧騒とともに始まった。
昨夜の洗練されたレストランでの静かな感動とは打って変わって、朝の市場(マルクト)は売り買いをする人たちの熱気に包まれていた。
「テオ、はぐれるなよ。もしはぐれたら魔術師の塔で落ち合おう」
「は、はいっ! ……うわぁ、すごい……」
師匠の背中を必死に追いかけながら、僕は右へ左へと首を巡らせるのを止められなかった。
大広場を埋め尽くす無数の露店。
海の向こうの南国のジャングルで採れたという極彩色のフルーツ。
東の鉱山から運ばれた原石の山。
海の彼方の島国から来たという繊細な絹織物。
そして、見たこともない魔獣の牙や角といった魔法の素材までが、所狭しとあちこちに並べられている。
店主たちの呼び込みの声と、客たちの値切る声が混ざり合い、一種の音楽のように響いていた。
「この街には、国中の『欲しい』が集まるんだ。欲望のるつぼ、と言ってもいいかもな」
師匠は慣れた様子で、錬金術に使うらしい怪しげな粉末と、旅のための携帯食料を次々と買い込んでいく。
僕も、エンチャントの触媒に使うための小さな水晶片を探そうと、ある露店を覗き込んだ、その時だった。
「――泥棒っ! 誰か、捕まえておくれっ!」
市場の空気を切り裂くような悲鳴が響いた。
ハッとして振り向くと、老婆が地面に突き飛ばされているのが見えた。そして、その影から小柄な何者かが、一抱えもある革袋をひったくって駆け出すところだった。
「……ッ! 待て!」
僕は考えるよりも先に身体が動いていた。
師匠に声をかける暇もない。人混みを縫うように逃げる犯人の背中を、僕は全速力で追いかけた。
犯人は足が速い。それに、この迷路のような市場の地理を熟知しているようだ。荷車の影を潜り抜け、木箱の山を駆け上がり、みるみるうちに距離が開いていく。
「くそっ、逃げられる……!」
僕が歯噛みした、その瞬間だった。
タンッ!
頭上で、軽快な音がした。
見上げると、露店の天幕(テント)の上を、何かが跳ねていた。
通路に面して並んだ露店の天幕の上を、ぴょんぴょんと跳ねるように僕の横を駆け抜けていく。
まるでゴム毬のようなバネ。いや、風に乗る羽毛のような軽やかさだ。
陽光を浴びてキラキラと輝く蜂蜜色の髪が、空中で踊る。
「――逃がさないよっ!」
鈴を転がしたような涼やかな声とともに、その影は天幕の端から大きく跳躍した。
空中でくるりと一回転。
着地したのは、逃げるひったくり犯の進行方向、真正面だった。
ズンッ!
着地の瞬間、地面が揺れたような気がした。
華奢な見た目に反して、その立ち姿には大樹の根のような揺るぎない安定感がある。
道を塞がれた犯人は、追い詰められた獣のように懐からナイフを抜いた。
「ど、どけぇッ! 刺すぞ!」
「おっと、危ないよ」
犯人が闇雲にナイフを突き出す。
けれど、目の前の人物――大きなフード付きのポンチョを着た子供は、まるで柳が風を受け流すように、最小限の動きでそれを躱した。
右へ、左へ。
足捌きはダンスのステップのように優雅で、それでいて一歩一歩が力強く地面を捉えている。
これは、魔術と格闘と舞踏を融合させた戦闘スタイル「シェイプシフター」の動きだ。
犯人が焦って大振りの一撃を繰り出したときに隙ができた。
僕は犯人に後ろから飛びかかった。
「捕まえたっ!」
「ぐあっ!?」
僕のタックルが背中に決まり、犯人は無様に地面に転がった。
僕は犯人を押さえ込み、シェイプシフターの子はナイフを拾い上げる。
観念した犯人の腕を捻り上げながら、僕は荒い息を吐いた。
「はぁ、はぁ……。助かったよ、キミが足止めしてくれなかったら逃げられてた」
顔を上げると、目の前でフードの子供がニカッと笑っていた。
フードからぴょこんと飛び出しているのは、三角形のネコのような耳。
大きな瞳は愛嬌たっぷりで、まるで人形のように可愛い顔立ちをしている。
「ナイス連携だったね! ボクはルカ。キミは?」
「僕はテオ。……えっ、『ボク』?」
その可愛らしい見た目と声から、てっきり女の子だと思っていた僕は、思わずまじまじと彼の顔を見てしまった。
ルカはポンチョの裾を翻し、芝居がかった仕草でお辞儀をしてみせた。
「ふふん、よく間違えられるけど、ボクは男だよ。獣族(セリアン)で、これでも魔術師見習いの端くれさ」
謙遜するがとんでもない。
華奢な天幕の上を飛ぶように駆けたあの体術は、彼の実力を示すには十分だった。
「ごめん、ルカくん。助けてくれてありがとう」
「いいってことさ。困っている人を助けるのは当然だろ?」
僕たちは奪い返した革袋を、駆けつけてきたお婆さんに返した。お婆さんは涙を流して感謝してくれた。
そこへ、人混みをかき分けて師匠がやってきた。
師匠は僕とルカ、そして取り押さえられた犯人を一瞥すると、静かに頷いた。
「怪我はないかい、テオ。それと、そちらの少年も」
「はい、師匠。このルカくんが犯人を止めてくれたんです」
「そうか。勇敢だったね、ふたりとも」
師匠の視線が、地面に組み伏せられた犯人へと落ちる。
僕はその時、初めて犯人の顔をちゃんと見た。
……子供だ。
薄汚れた服を着て、痩せこけた頬をした、僕よりも年下かもしれない少年だった。
彼は怯えた目で、師匠を見上げている。
「……衛士を呼んでくる。テオ、お前たちはここで待っていなさい」
師匠の声は、普段の飄々としたものではなく、地底から響くような低く冷たいものだった。
◆
その後の処理は、あっけないほど事務的に終わった。
駆けつけた衛士に少年を引き渡した後、僕たちは魔術師協会の塔へと戻った。
けれど、師匠の様子がどこかおかしかった。
部屋に戻るなり、師匠は外套を羽織り直したのだ。
「テオ、今日は食事をすませて先に寝ていなさい。私は少し、街の衛士たちと話をしてくる」
「え? でも、そろそろ夕方ですよ?」
「大人の付き合いというやつさ。心配はいらない、朝には戻る」
師匠は僕の頭をポンと撫でると、音もなく部屋を出て行ってしまった。
窓の外、サザンクロスの夜景は相変わらず煌びやかだったけれど、その光の影に、何か不穏なものが潜んでいるような気がして、僕はなかなか寝付けなかった。
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◆
翌朝。
僕が塔の食堂へ降りていくと、そこにはいつも通り涼しい顔をして焼いたバケットを齧っている師匠の姿があった。
「おはよう、テオ。よく眠れたかい?」
「あ、おはようございます、師匠。……師匠こそ、昨日は遅かったんじゃ」
僕が言いかけた時、食堂の入り口が騒がしくなった。
「あーっ! いたいた! テオくーん!」
元気な声と共に飛び込んできたのは、昨日のルカだった。
そして、その後ろから、凛とした大人の女性が歩いてくる。
ルカと同じ獣族(セリアン)だろうか。頭には黄金色の美しい毛並みの狐の耳があり、ふさふさとした尻尾が優雅に揺れている。切れ長の瞳が印象的な、息を呑むような美しい女の人だった。
「やあ、ルカ。それに、そちらは……」
「初めまして。この子の師匠をしているレンです。昨日はうちの弟子が世話になったそうで」
レンと名乗った女性は、僕に微笑みかけた後、まっすぐに僕の師匠の方へと向き直った。
そして、深々と頭を下げたのだ。
「そして、貴方には街を代表して感謝を申し上げます。『先生』。昨夜の貴方の働き、見事でした」
「……はて。何のことかな?」
師匠はコーヒーカップを置くと、とぼけたように首を傾げた。
レンさんは苦笑しながら、僕の方を向いて説明してくれた。
「テオくんは知らなみたいね。昨日の夜、この街の裏通りを牛耳っていた盗賊団のアジトが壊滅したのよ」
「えっ……!?」
「衛士たちが踏み込んだ時には、幹部たちは全員、石のように固まって動けなくなっていたそうよ。……誰かさんの強力な魔術で拘束されたままね」
僕は驚いて師匠を見た。
昨日のひったくり犯の少年。彼はその盗賊団に使われていた下っ端に過ぎなかった。
師匠は、あの子を捕まえた後、その背後にいる組織そのものを叩き潰しに行っていたのだという。
「子供を使って犯罪をさせるような連中だ。相応の目にあわせてやる必要があると思ってね」
師匠はパンの欠片を口に放り込みながら、あくまで「ついで」のように言った。
「衛士たちも手を焼いていた組織だったの。情報提供から制圧のサポートまで、貴方の師匠は本当にすごいわ」
「へへっ、ボクの師匠も強いけど、テオの師匠もやるじゃないか!」
ルカが僕の背中をバンと叩いた。
僕は、目の前で平然としている師匠のことが、なんだか誇らしくて、そして少し怖くて、でもやっぱりカッコいいと思った。
普段はひょうひょうとしているけれど、許せないことには容赦なく立ち向かう。それが僕の師匠なんだ。
◆
出発の時。
サザンクロスの西門まで、ルカとレンさんが見送りに来てくれた。
「テオは聖都エルドラに行くんだね。ボクたちも修行の旅を続けて、いつかは魔術師大会(コンペティション)に出るつもりなんだ」
「うん。僕も負けないよ。次はもっと強くなって、ルカくんを驚かせるから」
僕たちはしっかりと握手を交わした。
ルカの手は、女の子のように小さかったけれど、固いマメがたくさんあって、修行の厳しさを物語っていた。
「じゃあな、テオ! 元気で!」
「またね、ルカくん!」
手を振るルカの姿が小さくなるまで、僕は何度も振り返った。
サザンクロス。
人と道が交わるこの場所で、僕はかけがえのない友達と、師匠の新しい一面を知ることができた。
僕と師匠は、西へ向かう街道へと足を踏み入れた。
目指すは聖都エルドラ。
旅はまだまだ続くけれど、僕の足取りは、この都市に来る前よりもずっと力強くなっていたと思う。
〈続く〉
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