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『プレシャスデイズ』ワールド紀行
第5回:星降る峰の夜~見習い魔術師の野営~
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■語り手:テオ(魔術師見習い/グレード1)
サザンクロスの町を出て三日目。あの活気ある喧騒が遠い夢のように思えるほど、周囲は深い静寂に包まれていた。
僕と師匠は今、聖都エルドラへと続く街道を少し外れ、険しい山道の中腹にいる。見上げる先には、ミッドランド王国の屋根とも称される峻険な山々が、夕闇に染まりながらその巨大な輪郭を現していた。
「テオ、今日はこのあたりで夜を明かそうか」
師匠が杖で指し示したのは、斜面の一部が平坦に削り取られた場所だった。
そこは、ただの空き地ではない。地面には魔法銀を混ぜた特殊な杭が等間隔に打ち込まれ、結界の基点となっているのが、魔術師見習いの僕の目にもぼんやりとした光として感じ取れた。
「師匠、ここは……?」
「王国が認定した『魔術師用の野営地』のひとつだよ。街の中じゃ、大きな音を立てる術や、大きな火柱が上がるような新術の開発はできないからね。ここは、魔術師たちが周囲を気にせず、思う存分魔術を振るうために用意された場所なんだ」
なるほど、よく見ると周囲の岩壁には、何か強力な雷撃や爆発を受けたような焦げ跡がいくつも刻まれている。
師匠が言うには、今回は厳しい修行のためではなく、将来僕が修行で必要になったときに、こうした施設を使いこなせるようにするための「お試し宿泊」なのだという。
「さあ、テオ。日が落ちきる前に準備を済ませてしまおう。まずは寝床と、命の源である『火』だ」
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野営の準備は、想像以上に力の要る作業だった。
まずは整地された区画に、折り畳み式の小さなテントを張る。師匠の指示を受けながら、風で飛ばされないようしっかりと地面に固定していく。
次に、食事のための「野かまど」作りだ。
師匠は魔術で火起こしに魔術を使うことを禁じた。
「いいかい、テオ。魔力は無限じゃない。万が一の魔力切れの時、火も起こせないようじゃ魔術師失格だ」
僕は頷き、周囲から乾いた薪を拾い集めた。地面に少し穴を掘り、風除けの石を積んで、その中に薪を組む。
そして、水だ。
この野営地の隅には、岩肌をくり抜いた立派な給水施設があった。
山の上層から引かれた湧き水が、浄化の術式を刻まれた石の水槽に注がれている。
僕は背嚢から、あの「魔術ケトル」を取り出した。
「(魔力よ、等しく、優しく……)」
前回の失敗を思い出しながら、慎重にケトルに魔力を流し込む。
キンと冷えた山の水が、ケトルの底に刻まれた火の術式によって、ゆっくりと温度を上げていく。
今日は火花を散らさなかった。
小さな成功に僕が胸を撫で下ろしていると、師匠が背後から「合格だ」と短く言った。その一言が、どんな高級なレストランの賛辞よりも嬉しかった。
◆
パチパチとはぜる薪の音が、静かな山の空気に心地よく響く。
今夜の夕食は、乾燥野菜と豚の腸詰めのスープだ。
サザンクロスで買い足した塩気の効いた腸詰め(ソーセージ)をナイフで厚めに切り、お湯の中に放り込む。乾燥させたキャベツや玉ねぎが水分を吸ってふっくらと戻り、肉の脂が溶け出してスープが黄金色に輝き始めた。
「よし、食べようか」
師匠が、保存食として持ち歩いている硬く焼き締めたパン――「旅人の石パン」と呼ばれるほど頑丈なやつを、一切れ差し出してくれた。
そのままだと歯が立たないくらい硬いけれど、熱々のスープに浸すと、じんわりと旨みを吸い込んで柔らかくなる。
「……ふう、美味しい」
スープの熱さが、冷え始めた身体の芯まで染み渡る。
豪華なレストランの料理も良かったけれど、自分たちで火を熾し、山の中で食べるこの素朴な食事が、今は何よりも贅沢に感じられた。
噛みしめるたびに、小麦の力強い香りと肉の旨みが口の中に広がり、疲れがすうっと引いていく。
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◆
食事が終わり、焚き火の火勢を少し弱めた頃。
ふと見上げると、そこには言葉を失うような光景が広がっていた。
王都やサザンクロスでは見ることのできなかった、圧倒的な密度の星々。
天の川が白銀の帯となって夜空を横切り、大小様々な宝石を散りばめたような輝きが、僕たちの頭上に降り注いでいる。
「すごい……こんなにたくさんの星は故郷の村でも見たことがないです」
「この辺は人家もないし山頂で空気もきれいだからね。世界を包む真実の姿が見えやすいのさ」
師匠は焚き火の傍らで膝を突き、空の一角を指差した。
「テオ、あの北の空に、剣の形をした五つの星が見えるかい? あれが聖剣座だ。かつて神々が、大地を騒がせる巨大な蛇を封印した時の剣だと言われている」
師匠の声は、いつになく深く、静かだった。
そこから始まった師匠の話は、単なるおとぎ話ではなかった。
「……その時、神々は一昼夜かけて剣を鍛え上げた。その槌音は、今のアイアンピークの山々を震わせたそうだ。火花が飛び散り、それが冷えて固まったのが、今僕たちが踏みしめている鉱石の始まりだと言われているよ」
師匠は、まるでその場にいて、神々の槌音を耳にしたことがあるかのような口調で語る。
神様たちがどのような表情で、どのような議論を交わしながら世界を作ったのか。
その描写があまりに鮮烈で、目の前の焚き火の火花が、神話の光と重なって見えた。
「師匠、なんだか……まるで見てきたみたいですね」
「さてね。魔術師っていうのは、時として時間の流れを飛び越えた記録に触れることもある。あるいは……ただの私が語り部として優秀なだけかもしれないがね」
師匠はいたずらっぽく微笑み、薄めたお茶をすすった。
でも、僕は知っている。師匠の話の節々に宿る「重み」は、本で読んだだけの知識ではないということを。
この人は、僕たちが想像もできないほど長く、深い時間を旅してきたのではないだろうか。そんな不思議な感覚が、僕の中に芽生えていた。
◆
翌朝。
山の空気はさらに冷え込み、草木には白い霜が降りていた。
昨夜の幻想的な神話の世界から、再び現実の旅路へと戻る時間だ。
「いいかい、テオ。去る時こそ、魔術師の品格が問われる」
僕たちは協力して、火の始末を徹底的に行った。
燃え残った灰を埋め、掘った穴を埋め戻し、石を元の位置に並べる。
そして最後に、軽く浄化の術を唱えて、マナの乱れを整える。
立ち去る前、僕はもう一度だけ、野営地の焦げ跡が残る岩壁を振り返った。
いつか僕も、新しい魔術を生み出し、この場所で大音量と共に自分の力を試す日が来るんだろうか。
その時はきっと、師匠が驚くような、あの星空の輝きを閉じ込めたような魔術を見せてやるんだ。
「さあ、行こうか。坂を下れば、聖都エルドラの白亜の尖塔につづく街道に出られるはずだ」
「はい、師匠!」
僕は重くなった背嚢を担ぎ直し、一歩を踏み出した。
山を下りる足取りは軽く、僕の心は昨夜の星の光と、未来への期待で満たされていた。
魔術師見習いの旅。
聖都へは、だいぶ近づいてきていた。
〈続く〉
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